死を待つ人の家

India

インド・コルカタ・マザーテレサの施設

はい、ナマステ!いきなりタイトルからホラー?え!怖い話なの?やだ〜!と言うイメージですが、これは「ニルマル・ヒルダイ」と言ってマザーテレサによって開かれた施設名です。

今回は自分で書いていてなんですけどそこまで読んで欲しくないというか、わての素直な体験なので感じ方や、その物事に対しての接し方は人それぞれですよが大前提でどうぞ広い心を持って先の文章にお進みください。

さてここコルカタにはかなり多く白人の旅行者が目に入ります。いやタイなども多かったですが、ここには世界中からボランティアのために集まるマザーテレサの開設した施設があるのだそう。『ん〜?マザーテレサ?...放射能の研究をしていた...あ、あれはキュリー夫人か...キューリ夫人か...あ!ここでは伸ばし棒の位置はどちらでもいいか人違いだし...』

毎回のことですが、その国、その街、その建物や人物には直面するまで知らず、そこから初めまして〜のことが多いのでわての無学をお許しください。何でもこの貧富の差も激しく、身分の差もあるインド、コルカタにおいてカトリック教会の修道女としてこの土地で最後まで沢山の人々に愛を持って接し、亡くなっていった方が作った施設に、今もなお世界中からボランティアのために多くの人たちがこの都市を訪れているとのこと。とりあえずその施設を見に行くために、歩道とも言えない荒れた水溜りの多い道、ストリートチルドレンや多くの物乞いの人々を横目にたどり着いた。「死を待つ人の家』

自発性・社会性・無償性 ボランティア三原則  らしいですよ...

私が訪れた当時は施設に入る時にも特に誰にも何も伝えず、通り過ぎる人には軽く会釈などをして(2025年今現在は分かりません)ぐんぐん建物の中に入っていくとそこにはシンプルなベッドが並べてあり、言葉通り死を静かに待つ人たちが沢山横になっていた。そしてその人たちを沢山の国々のボランティアの人たちが甲斐甲斐しく世話を焼いていた。

ここにいる世界中の人たちは、勿論医療従事者の方やそれに関わる知識を持った方、カトリック教徒の方々、そしてわてのように何も知らずただ旅で訪れた街にある有名な場所だから寄ったと言う全くの素人。そしてそれらを束ねる修道院の方達やスタッフの方たちもいるのでしょう。

この施設内の光景を見た瞬間からなんだかよく分からない感情が生まれていた。言葉ではうまく表現できない。ただきっと自分はここにいるべきではないような気がしたことは確かだ。なぜなら何一つ行動しなかったのだから。何か行動するために皆ここに来ているのに。ここでの仕事なんてきっと何でもある。動作の補助的なことや、衣類の洗濯や、トイレ、部屋の掃除、もっと言えば言葉の通じないもの同士ただただ相手の言っていることに頷いて静かに聞くなどなど。ここにいるボランティアの人たちが何かしら自ら動き、発見し、出来ることを手伝っている。勿論無償で、見返りも求めずに。ただわてはここまで来ても何もする気にもならなかった。ただその部屋中を見渡し、人の邪魔にならない場所に座りこの空間を眺めていた。そして死を待つ人とボランティアの人との言葉は分からないので表情や、目のやり取りなどをただずっと見ていた。時間の流れや、人の動き、ここでの生活音などがとてもとてもゆっくりに感じていた。一歩外に出ればコルカタの街は、車線のない路上で譲り合わない自動車のけたたましいクラクションや、物売り、リキシャのおじさんの怒号、それはもう何処もかしこも騒音だらけなのに。不思議なこの空間は何なのだ。ここの少しだけ冷んやりした空気感は。勿論熱くないわけはないのに。

どれぐらい居たのだろう。一時間は少なくとも居た気がする。何もせずに。あの何とも表現出来ない空間に。これは後で知ったのだが、ボランティアと言うものには三原則があり、その一つに自発性なるものがあるらしい。決して強制などはしてはいけないという。だから動きもせず、何もしない、その場にいるだけで邪魔でしかない。そんなわてですら同じ日本人からでさえ誰にも手伝いをお願いされたり、ここから帰れなど言われなかったのかと。わては気付きもしなかったけれど、全てはボランティアの精神から来ていたのか。

いてもいなくても

死を待つ人の家まで来て何一つ手伝わず、ただ流れていく時間に抗いもせずに、死を待つ人を見続けて、勝手にその場を離れて無感情のまま宿へと戻ってきた。何も手伝ってはないのだけれど。不思議と非常に疲れていた。自分の部屋に入る前に通りかかった違う部屋の日本人は、遠い異国から来てわざわざこの地で手に入れたであろう安いマリファナを吸っていた。その独特の香りがする煙が風で流されて色々なものを纏いながらふと消える。

あの場に自分がいてもいなくても。ここのゲストハウスに彼がいてもいなくても。このインドにバックパッカーやボランティアがいてもいなくても。

しかしインド人ですらないマザーテレサはここコルカタにはきっと必要だった。

きっとみんな一生を懸けてそんな場所を探す。そんな煙のような不確かな場所があってもなくても。

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